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『ものづくり』小さくてもキラッと光る

事業所詳細

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コンペックスアート株式会社

コンペックスアート株式会社
  • その他
  • 武蔵小金井駅南口
主要品目・版画カレンダー『版画で描く光の12か月』
 企業名入業務用は直販
 伊東屋、丸善本店、自社のホームページ、NHKテレビ情報誌ステラ の通販
・ママラッチ(開扉家具の耐震ラッチ)開発・販売
住所〒184-0013 小金井市 前原町4-13-28
代表者代表取締役 辻  欣勇
問合わせTEL/042-381-6481
ホームページhttp://www.mamalatch.com

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■ 事業の概要
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小金井市の前原町4丁目の自宅で同社を経営する辻氏は奥様で版画家の見代さんの版画をメインに事業展開している。中小企業診断士でもある辻氏が事業を起こしたのは平成12年(2000年)の5月。サラリーマンとして理想科学が手掛けるプリントゴッコの営業部長や商品開発などを歴任した辻氏と幼少期から油絵を描いていた見代さんがプリントゴッコの孔版印刷の手法を活かした作品づくりを行うという、夫婦、力を合わせての版画事業に取り組み、事業へと発展してきた。現在、同社の主力商品は、見代さんの版画を使ったカレンダー『版画で描く光の12か月』。 「企業名入業務用は直販で、一般顧客様には「東京では伊東屋と丸善の本店で11年前から販売していただいています。 それ以外に自社のホームページとNHKテレビ情報誌ステラの通販で行っています。 お客様の80%以上は企業様で、90%が固定した長年のお付き合いとなっています。」創業時は家族や奥様の医薬品アレルギーや老人医療問題から漢方医療に注目、天然霊芝茶の独占輸入販売を行い、3年間の研究で自社ブランドの山伏茸と舞茸の健康食品を開発、2003年に販売開始した。 多くのがん患者や老人に支持を得ていたが、原料供給先の茸栽培方法が変わった事や栽培会社の倒産等により他社に勝る品質を維持できない為に、2008年健康食品事業化から撤退したという経緯がある。しかし、「健康食品事業は7年間に品質・顧客のトラブルは皆無、この品質を超える類似品は出現していないのは、当社役員全員の誇りでもあります。 健康食品は撤収しましたが、絵画の力(癒し・免疫力向上)に注目し、本社も日本橋から小金井の自宅に移し、版画や絵はがき・カレンダーの製造販売に特化して事業を続けています」という。

■ 辻さんと見代さんが辿ってきた道のり

辻さんは化学メーカーの旭化成に入社、昭和38年から昭和57年まで理想科学の支援(一時出向)にでた。その後ダウケミカルに移籍したのち、理想科学に入社という経歴をもつ。旭化成時代はサランラップ/フィルムの開発に関連して、いろいろな印刷技術の経験・知識があり、大手の印刷会社やインキメーカーとやり取りしたという。「印刷でいえば、空気以外は全てといってもいいくらい、あらゆるものの印刷に携わってきましたね。そうした流れで、今の会社を設立した当時から、印刷会社とかなり高度な話ができる知識と経験は持っていました。 理想科学との共同開発で和紙とサランフイルムを貼り合せて感熱性謄写印刷原紙をつくることになり、日本は勿論、世界中の和紙を調査しました。 米国に世界最大の和紙メーカーがあり、当初は米国製和紙を使用しましたが、2年後に旭化成の和歌山工場製和紙に切り替える事が出来ました。 これらの経験から、版画カレンダーの用紙にケナフ100%紙(機械漉き和紙の仲間)を使う事にしました。」そうしたら、海外ではカードを作って売っているのですね。作家モノみたいなものをやっているのです。そこで、アート分野にシフトしていくだろうと考え、その方面の開発にも進んでいくようになった。 新孔版画団体の組織化、展覧会の開催と作家の発掘、大きな版画作品が創作できる大型の機械の開発にも取り組みました。」見代さんは、昔から趣味で油絵は書いていたが、夫が理想科学に移ったことが契機となって、プリントゴッコを使った創作活動を行うようになった。「夫が理想科学に行かなかったら、版画の世界には行かなかったでしょうね。プリントゴッコの原理は、インクが原稿フィルムの細かい穴から染み出る孔版印刷で、基本的にはシルクスクリーンを半自動化したものなのですが、4、5版ほどの少ない版数で何十色もの色彩が表現できる本当に興味深い技術で素晴らしいと思いました。最初は市販の小さい機械から始めました。でも、段々とサイズの大きな作品にも取り組んでみたくなって。そんなわがままな一ユーザーの声をしっかり受け止めてくれて、大きなサイズにも対応できる機械を開発してくれました。」プリントゴッコの技術を活用した新孔版画協会を1991年に仲間と設立、以後後輩の指導と運営にあたってきた。 同協会は新孔版画展を第1回から9回まで、理想科学の支援で運営された。 しかし、理想科学が新孔版画事業の撤収、新孔版画協会の支援を中止した2000年に、新孔版画協会を辻氏・見代さんお二人が引き取り、10回展から18回まで9年間を運営してきた。 都知事賞やNHKサービスセンター賞、芸術新聞社賞などを受賞し、孔版・スクリーン技法の世界10カ国参加国際公募展として運営したが、協会運営の資金難や理想科学の印刷機材販売終了などにより、新孔版画協会を清算、現在は地区グループ展として継続されているという。 コンペックスアート(株)を2000年に日本橋で創業したのは、この新孔版画協会の支援・運営のためでもあった。

■ 創業からからの事業の展開

コンペックスアートは2000年の5月に、友人ら5人と1200万円を資本金として出資して設立、事務所は中央区の日本橋で立ち上げた。 「理想科学の支援を失った新孔版画協会を支援する為もあり、事務所でセミナーや展覧会・運営の打合せなど行っていたが、応募作品の額入れ作業は自宅で一手に引き受けていました。 一時は協会の会員が日本全国でおよそ100名、さらに海外にも多数いらっしゃいまして、公募展では世界10カ国くらいから参加がありました。 東京芸術劇場5階ギャラリーは400平米くらいあり10年ほど展示会続けました。 でも、これが大変なのですよ。150枚以上の作品を私と家内で額入れする作業が年々きつくなって、腰を痛めまして(笑)3年前に中止しました。」自社商品の製作にあたっては、製品のクォリティに、常にこだわり続けながら取り組んできた。 設立以前の第1作はアート紙を使っていたが、版画の風合が出ていないのです。 会社創立から機械漉きの和紙(ケナフ70%)を使用。 第3作目から大阪の印刷会社から茅野の印刷会社に変えて、悪戦苦闘10年目で満足出来る風合と色彩のカレンダーを創作出来る様になりました。 「コート紙やアート紙で作っているカレンダーはどこにでもあります。だけど、版画の、求めていた風合いや鮮明さは、光沢紙では出ないのです。 インク選びや、用紙検討など試行錯誤を重ねて12年。 最初の頃は印刷してから時間が経つと、どんどん色が沈んでいってしまって……紙に染み込んでいきますからね。それで紫外線硬化型の大豆インクに変えました。 これなら吸収する前に固められますから。」「スタートから8年くらいかかりましたね、版画としておかしくない仕上がりのカレンダーがケナフ紙を用いた特殊印刷の技術という点で、ウチの製品は業界でどこにも負けない印刷の仕上がりになっていると自負しています。」

■ 新たなビジネスチャンス展開の夢
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 見代ひろこオリジナル版画合計が約3000点(作品で約150種)の販売権を持つのは強みです。カレンダーから本物の版画が欲しい方にお譲りするシステムを確立したいと思って居ります。また、「カレンダーについては、バックナンバーの問い合わせが結構あります。 カレンダーでバックナンバーというのも変ですが(笑)要は絵を気に入っていただいたということなのでしょうね。カレンダービジネスというのは年に一回、賞味期限でいけば2〜3ヶ月くらいしかなく、その後は廃棄になってしまいます。でも、言ってみれば単なる紙くずが、商品として再び甦る。そうしたバックナンバーという賞味期限切れを再利用できる道が見え始めています。」具体的な動きはまだこれから。既存のお客様とのつながりや、新たなファンとなってくれる方の開拓を進めていく予定という。

■ 経営について・今後の展望

「現在、正直なところ、会社は赤字です。要因は……商売っ気が足りないからですかね(笑)。毎年開いていた個展も、付き合いで買ってくれる人が多くて申し訳ないから昨年から開いていません。会社設立10周年のときの展覧会の収支はとんとんくらいに抑えられましたが、商品のクォリティにもこだわってしまいますしね。今のところは持ち出しです。」ただ、こうした経営方針は残りの3人の株主とも意見が一致している。「一昨年、サントリーのビール部門が黒字化したのも部門開始から38年目ですよね。 まぁ、そんなもんだと思って、会社と呼ぶべき状態ではない当社ですが、今のスタンスで何とか頑張っていくつもりです。」と語る。見代さんの版画を購入した方に話を聞くと、癒されるという意見が多いという。 見代さんの作品は子供時代を懐かしむようなノスタルジックな雰囲気があって、少し前の言葉でいえば『癒し系』と言える。 プリントゴッコの大版化を希望したのが見代さんなら、開発をしたのはご主人。 その機械ができる前は、ベニヤ板を使ってフィルムやインクを何層にも重ねて、手間をかけた創作をやっていたという。サラリーマン40年の蓄積にそのような創意工夫が重なりあって、コンペックスアートの今がある。

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